みなさん、こんにちは。
本日は元衆議院議長の細田博之氏の家系図について。
3代続く政治家の家系と、妻が名家の娘であることについて纏めたいと思います。
細田博之の家系図
細田博之の家系図が豪華だということは一部ではよく知られていることのようです。
その実際の家系図がこちら↓↓

父:細田吉蔵


まずは、細田博之氏の父親である細田吉蔵氏について。
- 名前:細田吉蔵(ほそだ きちぞう)
- 生年月日:1912年5月2日
- 享年:95歳
- 没年:2007年2月11日
- 学歴:東京帝国大学法学部
- 出身地:島根県松江市
6人兄弟の4番目として生を受けた吉田吉蔵氏。
生家は油問屋として財を成したとされる「細田油店」という豪商なんだとか。
養子にだされた過去
吉田吉蔵氏は生まれてすぐに養子に出されたとのこと。
その理由は、吉田吉蔵氏の父親の弟夫婦に子供がいなかったためとされています。
養子にだされ義父母に育てられました。
義母が営む薬屋の息子として幼少期を過ごしたようです。
政治家としてのキャリア
1936年に東京帝国大学法学部を卒業後、鉄道省(現、運輸省)に入省。
1960年に退官後、衆議院議員選に地元の島根区から出馬し初当選。
その後、当選回数10回に及ぶ政治家人生を歩みました。
そのキャリアの中で、
- 行政管理庁長官
- 防衛庁長官
- 自民党総務会長
- 運輸大臣
など多くの主要ポストを歴任しました。
その長い政治家キャリアは、1990年に実子である細田博之氏に地盤を譲る形で引退し、幕を閉じました。
祖父・升田憲元

続いて紹介するのは、細田博之氏の祖父である升田憲元氏について。
- 名前:升田憲元(ますだ のりもと)
- 生年月日:1875年8月15日
- 享年:73歳
- 没年:1949年5月10日
- 学歴:京都帝国大学法科大学大学政治家
- 出身:島根県飯石郡
島根県飯石郡赤名村(現・飯石郡飯南町)で生を受けた升田憲元氏。
升田憲元も養子に?!
升田憲元氏も養子になった過去があるようです。
難波常八郎の子として生まれた、後に伯母升田きしの養子となったとのこと。
軍人のキャリア
1900年に陸軍士官学校を卒業したとされている升田憲元氏。
その翌年には、歩兵少尉に任官したようです。
その後、日露戦争への従軍を経て陸軍大尉に累進しました。
大学卒業後に弁護士
1912年に京都帝国大学の政治科を卒業したとされている升田憲元氏ですが、その翌年には法律科も卒業しているようです。
その後、高等文官試験に合格し升田憲元氏は、
- 陸軍省参事官
- 岐阜県不破郡長
- 国勢院事務官
- 国勢院総裁秘書官
などを歴任。
1922年に退官して弁護士を開業しました。
政治家としてのキャリア
弁護士を開業したのちに、芝区議員に選出された升田憲元氏。
1936年には、衆議院議員総選挙に出馬し当選をしています。
細田博之の妻・細田洋の父
最後に紹介するのは、細田博之の妻・細田洋さんのお父さんについて。
細田博之氏にとっては義理の父にあたります。

細田洋さんの父は加藤晶一さんという方ということが分かっています。
なんでも、加藤晶一さんは地元の名士だったようで、
- 東京大学機械科卒業
- 鉄道省・輸入省に勤務
- 神戸製鉄所常務取締役
を務めてこられた方のようです。
政治界とのパイプを持っていたと言われている加藤晶一さん。
細田博之さんのお父さんが政治家であり、その繋がりで細田博之さんと洋さんが知り合ったのではないかとも言われています。
そうなれば

恋愛結婚問よりもお見合い結婚だったのかな…
なんて想像もしてしまいますよね。
奥さんはあくまで一般人。公人ではないため情報を殆どありません。
以上、細田博之氏の豪華すぎる家系図について纏めました。
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